廣田の歴史

神奈川新聞 1999年11月9日付

 【平成11年2月1日 神奈川新聞『廣田花崖、業績に光』より】

 大正から昭和にかけて活躍した横浜生まれの作家、廣田花崖(本名・鉄五郎)の業績を残そうと、花崖のおいで養子の新聞販売店経営、廣田稲次郎さん(73)が横浜市青葉区市ヶ尾町の自宅に記念文庫をつくった。著作や寄稿した雑誌、自筆原稿、写真など千点以上の資料を収蔵。当事の横浜の農村の風景や暮らしぶりが描かれている代表作の随筆「田園」を五百部復刻するなど、郷土史のうえでも貴重な文庫になっている。

花崖は1887年、青葉区(旧中里村)の農家に生まれた。陸軍の技手として宮城県の農場に赴任中に、事故で下半身不随になった。失意のまま横浜に戻り、執筆活動に入った。

 「少年界」など当時の児童雑誌に、時代小説や探偵小説を書いた。キリスト教に傾倒し、宗教書の翻訳も手がけた。柿の栽培法の本も出版するなど幅広い作家活動を続けた。

 また、農村に文化を伝えたいと新聞販売を始める一方、横浜貿易新報(現・神奈川新聞)の記者になり、当時としては珍しかったサイドカーで地域の取材に回ったという。

 「田園」は、小学校の副読本になった。青葉区の鉄小学校の校歌を作詞したり、地元の青年団や婦人会設立にもかかわったりするなど地域活動でも活躍した。

 花崖の著作を調べたことがある国会図書館職員の藤元直樹さん(34)は「花崖は理知的な作家。昭和初期の児童雑誌に寄稿していたほとんどの作家の資料は戦災などで失われ、記録が残っているのは大変貴重」と話す。

 稲次郎さんは、花崖が1951年に64歳で亡くなったあとを継いだ。「花崖は土を愛し、農業を深く理解していた。信念を貫き通した気骨のある人間だった」と話している。

                                           (記事文中)

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