廣田の歴史







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神奈川新聞 2000年2月1日付

 【平成12年2月1日 明治末~昭和初期の新聞販売店】

 今では表面が黒ずみ、文字の塗装もほとんど残っていない横浜貿易新報の木製看板。この看板がまだ真新しい姿で掲げられていた、明示末から昭和初めごろの販売店では、どのような活動が行われていたのだろうか。

大正から昭和の初めにかけて活躍した横浜市青葉区の作家、廣田花崖(ひろた・かがい=1887~1951)は、横浜貿易新報の記者を務めながら、新聞販売店も営んでいた。おいの廣田稲次郎さん(73)が同区につくった花崖の記念館には、横貿時代の販売店活動を伝える写真が残る。

 社旗を掲げた車で向う団体旅行、新聞と自動車業界の合同宣伝イベント、体育大会だろうか横貿マークのたすきをかけたリレー選手の写真もある。現在の新聞社で行われている主催事業と同じく、新聞を広く知ってもらうためにさまざまな行事を行っていたようだ。

 看板を保管していた酒店店主の相原さんは、裏にあった新聞販売店の昭和初期ごろの姿を覚えている。当時はまだ新聞の購読者数が少なかったこともあり、販売店は現在よりも広い地域を担当していた。配達のおもな手段は徒歩。そのため新聞が読者の手元に届くまでにはかなりの時間がかかり、販売店から遠い地域では、朝刊とともに前日の夕刊が配られていたという。

 横浜貿易新報の束を肩から下げた配達員が店を出入りし、一日中忙しそうだったという印象があるが、中でも忘れられないのは販売店主が趣味で連れていた伝書バト。「店から一番遠い松田町で配達が終わると“これから帰る”という手紙をハトの足に結んで店に飛ばし、奥さんが手紙を見て『まだ松田町にいるの?』なんて驚いていましたね」と相原さん。忙しさの中にものどかな雰囲気が感じられる。

 また、当時の販売店には号外配布用の鈴があり、相原さんの住む地域では、正月になると子どもたちが借りた鈴を鳴らしながら氏神様をお参りしたという。

 「横貿」の看板が掲げられた時代からすでに60年以上の歳月が過ぎたが、今も昔も地域に密着した活動は変わらないようだ。

                                           (記事文中)


横浜貿易新報主催の体育大会の風景。~大正末期ごろ横浜市内~

中央の二人は横貿マークの入った「リレー選手」のたすきをかけ、周囲の人
は横貿の旗を持っている。後段左から4人目の白い服の男性が廣田花崖。

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