廣田の歴史

「ふれあい作品展」 廣田花崖没後50年を記念する会

神奈川新聞、朝日新聞、読売新聞に「ふれあい作品展」の様子が掲載されました。

写真【平成13年10月17日 神奈川新聞『照明灯』より】
横浜市青葉区役所で十九日まで開催中の「ふれあい作品展」に、小さな展示コーナー「郷土の作家・廣田花崖」が設けられている。没後五十年、地域の有志が企画した。
花崖は明治二十(一八八七)年、青葉区藤が丘に生まれ、中郡立農業学校(現平塚農業高校)に学んだ。陸軍技手の二十一歳、運命が変わる。脱線したトロッコから投げ出され、下半身不随となった。
花崖の真骨頂はそこから。「事実において彼を死なした日であり、又生かした日であった」。 写真以後、「生死以上に超然として、ただ人間として完全に生きる努力に勉しむことが出来た」。キリスト教に支えられ、文で身を立てる。明治末期から昭和初期に少年・少女雑誌などで旺盛な執筆活動を展開する。代表作は、土に生きる人間をたたえた随筆「田園」で、当時の小学校の副教科書に使われた。
神奈川新聞の前身、横浜貿易新報記者も務めた。サイドカーで県内外を訪れ、紀行文をものし、新聞連載小説も三本書いた。八十年前、「身障記者」は並大抵ではない。不屈の精神と当時の貿易新報社長・三宅磐(みやけばん)の理解があってのことだろう。
写真 一九五一年没。墓に刻む。「生きて遺憾なくんば、死して亦(また)遺憾なからむ」。十一月十七日には青葉区山内地区センターで講演とシンポジウムもある。新聞週間(十五~二十一日)に思い出したい先人である。

【平成13年10月18日 朝日新聞『街で』より】
横浜市の青葉区役所1階区民ホールで「ふれあい作品展」が開かれている。老人クラブや個人の版画や書、人形などの作品とともに、明治末期から昭和初期にかけて幅広い執筆活動をした郷土の作家、廣田花崖=1887~1951年=の貴重な写真や原稿のコピー、年譜なども展示されている。
花崖の展示コーナーを設けたのは、同区内の山内地区センターで開かれている歴史講座で学ぶ有志。今年が花崖没後50年であることから、郷土が生んだ作家の業績に再び光を当てようと「没後50年を記念する会」を作り、資料集めをした。19日まで。

【平成13年10月19日 読売新聞『街ふれあい』より】
花崖没後50年展

写真 ◆青葉区◆ 都筑郡下谷本村(現・横浜市青葉区藤が丘)で生まれ、明治末から昭和初期にかけて活躍した郷土の作家廣田花崖の没後五十年を記念した作品展が十九日まで区役所一階区民ホールで開かれている。
旧陸軍の技手として宮城県内で勤務中に事故で下半身不随になった廣田は、帰郷後、本格的に執筆活動に取り組み、随筆集「田園」が話題を呼んだほか、文芸雑誌などに数多くの作品を発表した。また、新聞記者としても活躍、連載小説も手がけた。
作品展は、郷土史家らが「廣田の業績を見直そう」と企画。義理の息子で、新聞販売業の稲次郎さん(75)が保管してきた原稿や著書、写真などが展示されている。

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