廣田の歴史

廣田花崖関係年表

廣田花崖のペンネーム

☆郡名に由来するもの
都筑 寒村・都筑 中里
☆村名に由来するもの
中里 八雲・中里 鮎渓・都筑 中里・中里 富士子

☆地名に由来するもの
鶴川 芙蓉・鶴川 芙蓉峰・武蔵野 学人
☆女性名
花田 弘江・中里 富士子
☆その他
畑中 紅花・城西 学人・小泉 鉄男・橋爪 ゆたか・村上 秋光・国分   寒村・東山 月亭・花田 弘江・小方 秋雨

花崖以外にも17ものペンネームを用いていました。

廣田花崖関係年表

安政3年10月26日(1856) ○母・ナヨが誕生する。
安政6年10月25日(1859) ○父・廣田房吉が誕生する。
明治20年4月11日(1887) ○都筑郡下谷本村にて次男鉄五郎(花崖)が誕生する。
明治35年(1902) ○中郡学校は農業科を加設して中郡立農業学校と改称する。
明治38年(1905) ○花水川桜堤下に下宿した時に花崖と号する。
明治39年1月20日

(1906)

◆『農業雑報』第93号に「農業小観」を執筆する。
明治39年2月20日 ◆『農業雑報』第94号に「農業小観」を執筆する。
明治39年3月 ○中郡立農業学校(中郡金目村)を卒業する。
明治39年4月 ○盛岡煙草製造所に勤務する。
明治41年6月

(1908)

○陸軍技手(軍馬補充部鍛冶屋沢支部)となる。
明治41年9月1日 ○負傷(陸軍省の上役が視察に見え、視察を終えた係が作業中に乗っていた馬を貸せと言うので、その馬を係に貸した。先生は人夫とともにトロッコで帰途についた。途中トロッコが脱線し投げ出され負傷された)。仙台術戌病院で加療する。
明治42年8月16日(1909) ○依願免職となる。
明治43年3月1日(1910) ◆『新潮』第12巻第3号に「坂本の帰郷」を発表する。
明治43年8月1日 ◆『新潮』第13巻第2号に「友だち」を発表する。
明治44年6月25日(1911) ◆有隣堂から『甘柿禅寺丸栽培法』を出版する。
明治45年1月1日(1912) ◆谷本真司著『農家年中行事』に序文を寄せる。
大正2年3月18日(1913) ◆大日本農業奨励会から『有利なる竹林経営法』を出版する。
大正2年3月25日 ◆向上社から『実験飼料作物栽培法』を出版する。
大正3年3月24日(1914) ○横浜指路教会毛利牧師により洗礼をうける。
大正5年3月18日(1916) ◆ピー・デー・ムーデー、エー・ピー・フィット著『ドワイト・エル・ムーデー伝』の翻訳本を出版する。
大正5年9月11日 ◆ヘスバ・ストレットン著『ゼシカの最初の祈り』の翻訳本を出版する。
大正6年12月20日(1917) ◆アンドソウ・マーレー著『基督の如く』の翻訳本を出版する。
大正7年7月4日(1918) ◆エチ・エフ・チャールス著『ジャック』の翻訳本を出版する。
大正8年4月30日(1919) ○花崖山房(都筑郡中里村市ヶ尾1737)に独立する。独学10年、翻訳や執筆をよくし投稿をしたが、ボツになることがしばしばだったという。

「一介のペンにより生きる」決意をし、独立する。

大正8年7月1日 ○横浜貿易新報社記者となる。
大正9年11月22日(1920) ◆横浜貿易新報に小説「亡者の旅」を大正10年2月21日まで連載する。
大正10年5月24日(1921) ○花崖山房が新築となり移る。
大正9年6月 ◆『少年科学小話 天地の巻』敬文館刊。
大正12年1月(1923) ○鉄小学校の校歌が脱稿し、野村校長に手渡される。
大正12年3月 ○都筑郡市ヶ尾に建てられた水野平三郎碑の碑文を書く。
大正12年4月23日 ◆横浜貿易新報に小説「孔雀の舞」を大正12年8月26日まで連載する。
大正12年9月1日 ◆『負傷満拾五周年祝賀記念-この心ただ感謝に燃ゆ』を発行する。
大正13年5月(1924) ○兄・廣田長重が6月5日に行われる県議会議員選挙に立候補の宣言を行う。
大正14年3月17日(1925) ○父・廣田房吉が没する。
大正14年11月20日 ◆『田園』を花崖山房出版部から出版する。
大正14年12月17日 ◆『岩の謎』の翻訳本を出版する。
大正15年4月5日(1926) ○『明治大正文学芸術人名辞書』に掲載される。
大正15年7月1日 ◆横浜貿易新報に小説『愛の凱歌』を大正15年6月30日まで連載する。
大正15年12月1日 ◆ガラット著『光の都』の翻訳本を出版する。
昭和3年春(1928) ○花崖山房第二次新築なる。
昭和3年7月12日 ◆『コンコルダンス』を出版する。
昭和3年8月18日 ○兄・長重が没する。
昭和3年10月 ○この頃都筑郡の「消防歌」を作詞する。
昭和4年9月15日(1929) ◆『科学童話集(新日本少年文学全集 第4巻)』に著作が収録される。
昭和5年3月15日(1930) ○池ノ内春子と結婚する。
昭和6年3月7日(1931) ○サイドカーを購入する。
昭和7年1月30日(1932) ◆エス・デ・ゴルドン著『基督再臨の考察』の訳本を出版する。
昭和8年6月10日(1933) ○電話が開通する(川和から99本の電柱を立てる)。電話番号は川和45番。
昭和22年2月15日(1947) ○還暦記念として木碑を立てる。
昭和23年1月25日(1948) ○小方近造編『花崖先生小史』が出版される。
昭和26年1月25日(1951) ○孫に「新しき命萌え出で冬最中 早くも春を迎うる家かな」の句を詠む。
昭和26年1月27日 ○廣田花崖64歳にて没する。
昭和28年5月1日(1953) ○廣田花崖著『コンコルダンス聖書語句索引』が出版される。

「おれは大俗人だ、大平民をもってにんじる」

「なにごとも天職と思ってやれ」

昭和41年3月(1966) ○廣田稲次郎氏により「花崖山房浄域」の碑が立てられる。(谷本霊園)。
平成7年10月31日(1995) ○『日本児童文学大辞典』第三巻に要調査人名一覧に廣田花崖の名も掲載される。
平成10年11月(1998) ○『田園』が廣田稲次郎氏により復刻される。
平成13年10月(2001) ○青葉区役所、「ふれあい作品展」にて

花崖展示コーナーが設けられる。

平成13年11月(2001) ○『廣田花崖没後50年を記念する会』

山内地区センターにて講演とシンポジウム開催。

 

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